Columnスペシャルコラム 02
原作・プロデューサー / 監督・脚本 筧裕介 × 田村祥宏
『認知症世界の歩き方』で描かれた世界は、
どのように映画の中で表現されているのでしょうか。
原作者・筧と監督・田村が、6つのスポットについて語ります。
最後に注記のある VFX は Visual Effects の略です。
認知症のある方は、言葉の理解に課題を抱えることがあります。その中でも代表的な二つのトラブルを表現しました。
一つは、見慣れた文字が文字として認識できなくなることです。ある当事者は、「『仏』という漢字が、『イ』と『ム』の二つにしか見えない」と話してくれました。
もう一つは、相手の話し声が異常に速く聞こえることです。
早口に聞こえる表現は、速さの塩梅が難しかったです。通常の速度で別録りした音声を2倍速に編集して重ねる、2段階の工程で制作しました。
リハーサルの段階で筧さんから、「このままでは、単に早口でぶっきらぼうな中華屋の店員にしか見えない」と指摘がありました。そこで、息子・優輝視点では店員は通常のスピードで話し、豊視点では同じ店員に高速で話してもらうことにしました。
認知症のある方は、目の前で見えていたものが、見えなくなった途端に記憶から抜け落ちてしまうことがあります。
例えば、冷蔵庫を開けている間は卵を認識できていても、扉を閉めた瞬間に記憶から消え、「無いもの」になってしまうのです。
これは単なる「物忘れ」ではなく、視覚と記憶が強く結びついているからこそ起きる現象です。
一番苦労したのは、11月の山での撮影です。当日は気温が氷点下まで下がり、朝には桟橋が凍っているほどの寒さでした。キャストもスタッフも震えながらの撮影となり、とても印象に残っています。
VFX では、奥行きを表現するためにグリーンバックを使用し、霧を何層にも重ねて濃淡を調整しました。
認知症により、空間を立体的に把握することが難しく、「右奥にあるもの」や「次の角を曲がる」といった空間の広がりを捉えにくくなり、見慣れた場所でも道に迷ってしまうことがあります。
目の前の世界がまるで平面になったように感じられる。そんな感覚を、観客にも体験してもらいたかったのです。
特に難しい表現の一つでした。当初は演劇の舞台のような平面的な背景を検討しましたが、リアルな空間に落とし込むと矛盾が生まれ、うまく機能しませんでした。
試行錯誤を重ねた結果、VFX を用いて平面のボックスを複数配置する演出にたどり着きました。ドラマ作品で機能するかどうかに不安もありましたが、結果として、観客が「何かがおかしい」と感じる、良い意味での違和感を生み出せたと思います。
認知症により、モノの形や輪郭、距離などを認識しにくくなることがあります。
例えば、トイレの便器が床や壁と同化して見え、どこに座ればよいのか分からなくなることがあります。その結果、うまく用を足せなかったり、転倒につながったりするのです。
まず苦労したのは、条件に合うトイレのロケ地探しです。劇中の演出に必要な広さ、便器と床が同化して見える色も求められました。
VFX でも、「合成感なく表現する」ことに苦心しました。便器と床を同化させすぎると、単に床に穴が開いているように見えてしまいます。そこで、影や黒い縁を消し、床と便器の色味を丁寧に調整することで、便器でありながら床と見分けがつかなくなる、その絶妙なバランスを追求しました。
認知症により、対象物と自分の体の距離感がわからなくなることがあります。
例えば、階段の一段一段が実際よりも深く見え、一段下がとても遠く感じられたりすることがあるのです。
距離が遠く見える感覚を実写で矛盾なく表現することに苦労しました。遠く見えるということは、見える範囲も広がるため、実際には見えないはずのものまで映り込んでしまうからです。
試行錯誤の末、単純に階段を遠ざけるのではなく、画面の要素を分解し、物の配置や大きさをあえて不均衡にすることで表現しました。
認知症により、私たちには気にならない物音や会話など周囲の音が次々と同じような強さで耳に飛び込んできて、何も手につかなくなる状況を体験することがあります。
あるご本人の「音が塊のように飛んでくる」という感覚を表現することに挑戦しました。
音が塊になって飛んでくる表現は、漫画やアニメでは見かけますが、実写でリアルに表現する方法に悩みました。当初は空気の弾のような表現も検討しましたが、実写では違和感が強くなってしまいます。
そこでヒントになったのが、2000年代のラップメタルのミュージックビデオでした。ボーカルがシャウトする瞬間に画面が震える演出を参考に、画面全体のXY軸の微振動と、指向性のあるZ軸のズームによる振動を組み合わせて、音の圧力が押し寄せてくる感覚を表現しました。